「―――――あ、」

人込みに、嫌でも見慣れてしまった顔を見つけて、条件反射のように呟いた小さな一言に、部活仲間は不思議そうな顔をした。
しまった、と己の行為を悔いてもそれをなかったことにできるはずもなく、顔を横に逸らして舌打ちをする。

ちらり、もう一度見た時あの人は、自分の知らない人と楽しそうに笑っていた。

榛名元希という人物がとにかく大嫌いだった。
サインを出したって一度たりとも頷いたことはないし人にボールをぶつけても謝らないし、まず何よりあの人にとって自分は間違いなくパートナーなんかじゃなかった。
ただ投げる先にたまたまいる存在で、代わりなんていくらでもいた。
それでも榛名の投げた球を捕れるのは当時のチームには阿部一人だったという事実も手伝って、阿部にとって榛名は良い意味でも悪い意味でも特別だった。
普段、阿部に興味なんて示さないくせに、時折こっちが錯覚してしまうような事を平気でする。
例えばいつもは球が捕れたって誉めることなんてありえないのに、突然気分でくしゃりと破顔しながら頭なんかを撫でたりするから、いつも意味のない錯覚を起こしそうになっていた。
否、おそらくもう、錯覚していたに違いない。
けれどそれは本当にただの錯覚でしかなくて、真実でなければ、仮の話ですらなかった。
こっちから向こうへの、一方通行、勘違い。



「阿部く、ん?」

三橋がきょときょとした態度で――おそらく持ち得る全ての勇気を振り絞ったのだろう、いまにも謝りそうな表情で阿部を覗き込んだ。
なんでもない、とそっけなく言うと、結局謝罪の言葉。
榛名なら絶対に謝らないのに、そう自然に考えてしまう自分にさらにいらいらした。

「なあ、阿部。あれ」

そう言う栄口の声が聞こえて阿部は嫌々振り返る。見なくたって栄口が榛名を見つけたことくらい明白だった。同じ中学出身だということがこんなところで欝陶しいと思うとは。続けて三橋が大きく反応し、田島が叫ぶ。何でこの2人が知ってるんだと訝しんでからすぐに、つい最近球場で遭遇したのだということを思い出した。

ばっちり合ってしまった視線の先で、榛名が驚いたような顔をする。

「隆也!」

なんであの人は自分の名前を呼ぶのだろう。
今はもう何の関係もないのに、そもそも前だって何の関係もなかったのに。なんで今更。

無視しようにもこの間とは違って阿部と榛名を隔てているものと言えば西浦野球部くらいのもので、他はない。
ずかずかとこちらに向かってくる榛名を阿部は諦めたような目で見ていた。

周りの喧騒よりも足音と自分の名を連呼する声が響く。
榛名が久しぶりと言って左手を上げた時点で、吐き気がした。



俺は、アンタが、大っ嫌いだ。



くるり、踵を返して歩きだす。花井や巣山が慌てたように引き止める声が背中越しに聞こえたが、どうでもよかった。
バタバタと着いてくる足音の中に三橋のそれが混ざっていて安堵する。

今は、一人じゃない。

あいつは、もういらない。

だから、



怒りを含んだようなその大きな声で、名前を呼ばれた瞬間に沸き上がってきた感情に、無理矢理蓋をした。



どうせこれだって自分だけ。






嘘吐きの烙印






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